旅に出る時は

われわれは実質的に
再生するという行為を体験している。

今まで体験したことのない状況に直面し、
一日一日が普段よろもゆっくり過ぎていゆく。

ほとんどの場合
土地の人が喋っている言葉を
理解することができない。

つまり、子宮から生まれてきたばかりの
赤子のようなものなのだ。

だからまわりにあるものに
普段よりもずっと大きな重要性を感じ始める。

生きるためには
周りのものに頼らねばならないからだ。

困難な状況におちいった時
助けてくれるのではないかと思って、
他人に近づこうとするようになる。

そして、神が与えてくれる
どんな小さな恵みにも
そのエピソードを一生忘れることがないほどに
大感激したりするのだ。

同時に、すべてのものが目新しいために
そのものの美しさしか見ず、幸せに感じる。

だから、宗教的な巡礼は
常に悟りを得るための
最も実践的な方法の一つとされているのだ。

小さな罪というペカディジョ(peccadillo)という言葉は
道を歩いて行くことのできない傷ついた足
という意味を持つペカス(pecus)という言葉から来ている。

ペカディジョを正すための唯一の方法は

前へ歩き続け
新しい状況に適応し、

その代償として、求める者に対して
人生が豊に与えてくれる何千何万という
祝福のすべてを受けとることなのだ。



 - パウロ・コエーリョ -

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